伊豆急行開業時、伊東線の普通列車は客車列車だった?

 昨日100系と153系の並びの写真を撮影していたら、「伊豆急行開業当時はどんな列車が走っていたのだろう?」という疑問が出てきました。

 そこで「時刻表 完全復刻版 1964年10月号」を見てみると、伊東線の列車にはMの文字がなく、昭和39年10月時点では客車列車が走っていた様です。伊豆急行が昭和36年12月に開業して、その3年後です。


時刻表 完全復刻版 1964年10月号 (JTBのMOOK)

 「伊東線に客車普通列車という発想は無かったな」と思いながらも、ネットで「伊東線+客車列車」などで検索してみましたが、当時の客車列車の情報は皆無です。

 時を遡れば現在は電車列車が走る水戸線や川越線も客車の普通列車が走っていましたので、客車列車が走っていたこと自体は特殊なことでは無いと思います。

 しかし川越線ではDE10が牽引していた話、水戸線ではEF80が牽引していた話を見聞きしたことがありますが、伊東線の客車時代の話が全く無い事が驚きです。

 色々なワードで調べてみましたが、辛うじて後年のEF10や15が牽引する貨物列車の情報のみが引っかかる状態です。

 ところで牽引機は何だったのでしょうか?時刻表にある「準急 いこい」の編成をARC資料館で調べてみると、東京- 熱海感を牽引してきたEF58がそのまま伊東まで牽引していた時代があった様です。

 これは他のサイトでも言及されており、後ろの客車は熱海で切り離され別のEF58が三島まで牽引、そこから伊豆箱根鉄道の機関車で修善寺まで走っていたそうです。現在の「踊り子」の元祖ともいえる列車です。

 そうすると伊東線の普通列車もこのEF58の間合いで運用されていたのでしょうか。当時は特急色が登場していましたが、青15号とクリーム1号という塗装になるのは昭和40年以降の様ですから、EF58なら茶釜だったのでしょう。

 そして客車ですがスハ43型はまだ車齢も若く、急行や準急運用オンリーで使われていたと思います。そうすると戦前から戦後にかけて製造されたオハ35、スハ32位の茶色の客車だったのでしょうか?

 実際「準急 いこい」の写真を見てモノクロで色は判別しませんが、色の濃さから見て青ではなく茶色のように思えます。「いこい」は準急ですから普通列車なら当然格下の車両になるでしょう。

 この昭和39年当時は「戦前生まれの茶色い客車に熱海から揺られてきたら、伊東駅で最新の伊豆急行の車両が待っていた」そんな感じだったのでしょうか?

 また逆に昭和24年頃に東海道本線の電化伸延に伴い電気機関車が不足して伊東線の列車が電車化された話もネットの中で見つけました。東海道本線の客車列車が電車化され、支線区の伊東線に昭和30年代になり客車が回ってきたという話でしょうか。

 こうやって深く考えていくと当時の伊東線の状態は全く謎です。しかし客車列車が走っていたなら、写真の様なホーム高さをかさ上げした跡が何処かに残っているかもしれません(写真は関西本線の桑名駅で撮影)。

 今度伊東線の駅を訪れたら、一度検証してみたいと思います。

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