KATO ヨ8000(1-805)

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 ヨ8000は国鉄が昭和49年から54年にかけて製造した緩急車です。KATOからも16番(HO)モデルが出ていますが、国鉄時代の貨物列車には無くてはならない車輌です。

■ 国鉄最後の緩急車は最高の居住性能

 横から見るとヨ6000とほぼ同様のシャシにコキフの車掌室を載せた様な独特の形状をしています。デッキ先端まで屋根が無いないなど粗のある設計ですが、これら設計の粗は当時の国鉄の財政事情も大きく影響しているようです。

 しかし新製時から暖房に石油ストーブを採用、室内灯は蛍光灯、トイレ設置と当時としては画期的な居住性を誇る緩急車でした。しかしこの形式が緩急車最後の形式となり、その後は保安装置の発展により貨物列車の車掌乗務、緩急車の連結は省略され今日に至ります。

 ちなみに妻面の白いラインは車内の暖房が石油ストーブの車両という意味になります。ヨ6000などでも石油ストーブに改造された車両にはこの帯が入っていました。ヨ8000は先述の通り新製時から石油ストーブですから、現役車両は全車にこの帯か入っていました。

 所属の東タシは昭和44年3月に東京鉄道管理局は北南西の3つに分けられていますので、昭和49年から製造のヨ8000の場合、東京鉄道管理局の東ではなく、東京支社の東だと思います。国鉄時代なら南タシに変更してあげる必要がありますが、小さいところなので放置しています。

■ 国鉄貨物の最後尾には必須の車輌

 模型ではテールライトが標準で点灯します。また室内灯はオプションの室内灯を少し加工して取り付けます(同梱の説明書に詳しく載っています)。最後尾が円盤や着脱式の尾灯と異なり、緩急車が連結されていると国鉄らしさが増します。

 国鉄時代は緩急車の連結と車掌の乗務が列車組成の際に必須でした。非自動区間の一部や一駅間の運行など例外で乗務が不要なケースもありましたが、今以上に列車防護の際に車掌の存在は重要な時代でした。

■ 取り付けパーツはベンチレータとインレタのみ

 最後に模型の話をするとユーザー取り付けパーツは屋根上のベンチレータ2個だけです。インレタの車両番号と所属表記を貼り付けたら完成です。手すりは一体成形ですので、ヨ5000の様にブレーキハンドル側が白くなっていませんので、拘る方は別途塗装が必要です。


KATO HOゲージ ヨ8000 1-805
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