青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」(1)

青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」(1)

2020年11月17日 オフ 投稿者: dollman

 青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」は青函トンネル開通以前本州と北海道の鉄道を結んでいた青函連絡船の一隻「八甲田丸」をそのまま保存、展示施設として公開しているスポットです。青函連絡船を知る上で最も資料価値の高い施設なので青森を訪れたら是非立ち寄ってみて欲しい施設です。

 写真は2014年にしたものなので至らぬところが多いですが、解説はガイドレベルで語れる知識がありますので、ここを訪れる際はこのページをブックマークして読みながら巡って貰うと理解が深まるかと思います。

 青森駅横の青森港には昭和63年9月まで鉄道連絡船として活躍した「八甲田丸」が係留されています。この場所は連絡船が運行していた頃は第二岸壁と呼ばれていた場所です。ちなみに第一岸壁はA-FACTORYのある付近、第三岸壁は北東側にありました。

 今回の青函連絡船の解説は全3回で解説予定ですが、今回は入口の船楼甲板、遊歩甲板、船橋と紹介してゆきます。

 こちらが入り口、乗船口になります。もう少し専門的な言葉で言うと「舷門」と呼びます。乗下船時には「舷門当直」の腕章をした乗組員さんがこちらに立っていました。この普通船室入り口があるこのフロアを船楼甲板と呼びます。

 入り口で510円の見学料を払いいよいよ見学開始です!写真左側に八甲田丸のマークがあり、その横に制服が並んでいますが、その角部分が現役時代は売店があった場所です。そしてその裏に食堂がありました。右側の青森りんご市場の展示はかつて東京で展示されていた羊蹄丸(解体済)内で展示されていたものです。

 入口のあった船楼甲板に対し一つ上の3階は遊歩甲板と呼ばれます。遊歩甲板にはグリーン船室がありました。グリーン船室の指定席はこの様に一人掛けでリクライニングも60度まで効きましたので深夜便の仮眠にも快適でした。

 今では「はやぶさ」を使えば4時間ほどで東京から函館へ到達できますが、それとほぼ同じ時間(3時間50分)を過ごす訳ですから船内は開放的で快適でした。

 また左舷側の客席は撤去、改造され展示スペースとなっています。当時の貴重な資料や写真も多く並んできますのでこちらもじっくりご覧ください。

 更にグリーン船室の奥には寝台室があります。奥のキノコ状というか、扇状のの物体は実は毛布です。合理化で末期には見られませんでしたが、これは飾り毛布と呼ばれる船客係の職人技です。趣向を凝らしたその造型に乗船したお客さんは大変喜んだそうです。

 更に奥、船の最先端には士官室がありました。写真は船長室ですが、この士官室にも階級があり洗面台(ベースン)が付いている部屋は士官室の中でも6つだけでした。船長、機関長、一等航海士、一等機関士、通信長、事務長の六職の部屋のみ洗面台(ベースン)が設置されていて、「サロン六職」などと呼ばれ一般士官の憧れの的でもありました。

 更にここでは当時のサロン六職と記念撮影できるコーナもあります。右は北山船長、元大雪丸の乗組船長(連絡船には各船3人の船長が交替乗務していたのですが、人事権のあるリーダー船長です)、左の葛西機関長は本船八甲田丸の機関長、機関部のリーダーでした。

 その他色々懐かしい展示品がいっぱいですが、お待ちかねの航海船橋をそろそろご案内しましょう。

 グリーン船室、船長室などがあった遊歩甲板から階段を一つ上がると航海船橋です。今では当たり前の技術というか、廃船になって30年以上経っていますのでむしろクラシカルですが、就航当時は最新鋭の技術を結集した船舶でした。

 青函航路は距離が比較的短い反面、気象条件が厳しくまた国有鉄道ということもあり試験的に技術が投入されることも多かった航路でした。ちなみに民間船で日本で最初にレーダが搭載されたのもこの青函航路で昭和25年に洞爺丸、十勝丸に搭載されました。

 冬の時化、吹雪と何度も戦った旋回窓。こんな所にも歴史を感じます。

 こちらがプロペラコントローラーです。船舶の前進後進を制御する部分です。前後に動く2つのレバーは船尾左右のプロペラを制御します。また左右に動くレバーはバウスラスターを制御するレバーで入出港時に船首を左右に振るのに使います。

 そしてこれも現在では当たり前の技術なのですが、昔の船がプロペラのピッチは固定でエンジンの回転で速度を制御していたのに対し、こちらは推進軸の回転速度はそのままでプロペラの角度を変えて速度、前進後進まで制御できました。これを可変ピッチプロペラと呼び、就航当時は最新の技術でした。

 なお入出航時は三等航海士がプロペラ角の操作しました。またその左側には機関室との通信用にエンジンテレグラフがありますが、この操作も三等航海士が担当していました。

 こちらは2011年に反対側から撮った写真です。エンジンテレグラフなども上の写真より良く見えるかと思います。この時には右プロペラのレバーの上部が欠損していますが、2014年には復活していますので羊蹄丸解体時に部品の供給を受けたのかななどと想像しています。

 ところで中央部にある時計は色といい大きさといいこの船の専用品の様ですが、外側は市販されています。多分ムーブメントは船は船舶の電源で動いているでしょうし、市販品は電池なので異なると思いますがケーシングや文字盤は全く同じです。


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 舵というよりは車のステアリングのようですが、これが舵輪です。船舶では右に舵を切るのを「スターボード」、左に舵を切るのを「ポート」と呼びます。船長が「スターボード」と指示すれば「スターボード、サー」と復唱して右へ舵を切る訳です。

 そして左奥に僅かに見える赤いボタンは汽笛のボタンです。出港時と着岸時は5秒の長声一声を吹鳴しますが、出港30分前、葛登支(湯島)航過時はこの長声を2回吹鳴しました。

 船舶の無線と言うとトン・ツーのモールス信号(電鍵)を連想しますが、近海船の場合このVHF帯の電話無線も活躍していました。雁行船の情報や桟橋とのやりとりはこのVHFを利用していました。

「青森、青森、こちら八甲田丸、湯島航過○時○分、港内模様どうぞ!」

「八甲田丸、八甲田丸、こちら青森、湯島航過○時○分了解。港内模様北の3m(風)岸壁は1岸です。」

みたいな口語で通信していました。ちなみに今の会話は上り便の例で下り便は葛登志灯台脇の航過時刻を函館桟橋に送りました。

 ところでこのマネキンは金線三本なので一等航海士ですが、この一等航海士がVHF無線でやり取りをしているのでこれは航海当直中という設定のでディスプレイということになります。

 入出港時、一等航海士は船首担当、二等航海士は船尾担当、船橋に居る士官は船長と三等航海士でしたので、入出港時ではないと読み取れるわけです。航海当直中は交替で前方を監視していました。

 そしてこちらが通信室になります。電鍵でモールス信号を送います。こちらには通信長、通信士が乗務していました。時計は国際標準時と日本標準時を刻めるように二個あります。桟橋とのやり取りの他、携帯電話の無い時代ですから電報などの業務もあったようです。本船の信号符字はJRRXでした。

 ところで15分、45分から各3分間が赤く塗られていますが、これは遭難信号を聴取する為にこの3分間はSOS信号以外を発信してはいけない国際的な決まりになっています。

 それでは今回は航海船橋迄紹介してきましたが、次回は航海甲板から解説を続けていきたいと思います。